高倉寺宝積院(たかくらじほうしゃくいん)

705年に行基が開基。49の子院を持つ大きな寺として栄え、空海(弘法大師)もこの地を訪れたと伝えられています。その後も、高倉天皇から「大修恵山高倉寺」という山号寺号を下されるなど隆盛を極めましたが、戦乱ですべてを焼失。慶長末年、このあたりの城主であった小出大隅守が復興につとめました。ちなみに、高倉寺は行基が家原寺の次に建てた寺で、境内に残る古い石塔は彼の供養塔だと伝えられています。

主な見どころ 「法起菩薩曼荼羅図」(ほうきぼさつまんだらず)
(大阪府の重要文化財)
所在地 堺市南区高倉台2-9-15
アクセス 泉北高速鉄道・泉ケ丘駅下車 徒歩約10分
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  • 陶器郷・西高野街道コース

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高倉寺宝積院(たかくらじほうしゃくいん)